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【音楽について人生について】 ~私の心が唯一裸になれる場所に~
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  • 04/30/18:09

04.22.23:08

大阪のサンドイッチマンからJazzの贈り物(実話)

                     sand

   昔Rockが歌いたくて大阪にいた頃(ブルースの街なのに(笑))
   週に1度、外人Barでアルバイトをしながら月1回
   レイチャールズのカバーバンドをのコーラスを勤める。
   2曲自分の好きな曲を歌えると言う事だから、
   2人対象のコーラスはブルース(bigmama)
   私はチェッペリンやジミヘンを歌う。
   
   今考えると1ヶ月くらいしかバイトしなかった、
   その外人Bar『チキン・ラン』だっけ???
   そこにいつも休憩しにくる『梅田の東通商店街のサンドイッチマン』
   がいた。    1度だけ会話を交わした覚え。
  
   『歌歌いたいんだって?』『何が好きなの?』
   『あ、はい、ロックが好きです』会話はこれだけ。。

   翌週、絶対私の為ではないと言えるくらい、
   万年筆の薄れた字で書かれた曲目の数々。。
         (嫌、、私の為に用意されたものかも??不明である)
 
   『カセット・テープ』6本 『ビデオ・テープ』6本差し出された。
   
   Jazzの世界では名高き方々の歌やビデオである。

   貰って家で見ても聞いてもRock志望の私には当然価値も分からず
   ただ、見ず知らずのおじさんが、私の為にここまで持ってきてくれた。
   そんな嬉しい思いをした。

   まるで、あの時の私には『サンタクロース』か『足長おじさん』
   である。

   私は勝手にそのサンドイッチマンのおじさんに背景を感じた。
   『きっと昔Jazzプレイヤーで
            今は生活の為にサンドイッチマンをやってる』

   勝手にそう感じて今に至る。

   今ではそのサンドイッチマンのきっかけでJazzを知り、今の持ち歌は
   ほとんどと言っていいくらい、その『カセットテープ』で覚えたもの。
   『カーメンマクレー・ビリーホリデイ・ペギーリー・他数々』
   (レコードから録ったものだろね)

   私の貴重な思い出である。
   
   出来る事ならその人に再会し、
            アレがきっかけなんだとお礼を言いたい。
   お礼を言うくらいまでは完成度がまだまだ乏しいかな。。

   でも、きっともう2度と会えないから、
             私の中で素敵な物語なんだろう。

   ※次の更新は素敵な話と素敵な曲紹介だ~!!

    

   新英和中辞典第6版 (研究社)
  
s
ndwich m n
      サンドッチマン
   sandwich board で体をはさんで歩く広告屋》
   日本では第二次世界大戦後間もない頃の昭和20年代に多く使われた
 

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04.18.01:04

peace

              yuu

   昨夜TVタックルで後半、中日問題の事を討論していた。
   興味深い話で初めて知った事もあった。

   色々知って、音楽の深さや素晴らしさが余計に感じる。

   昔アメリカ国歌を歌っている人をみて憧れた。
   あ~なんて気持ちよさそうなんだろう。
   いつかああやって思いっきり歌ってみたい!

   『Oh~Sey can you see~』

   ホイットニーが歌ってる
   
   http://www.worldfolksong.com/anthem/lyrics/usa.htm

                 

                     3.
                     戦争による破壊と混乱を
                     自慢げに断言した奴等は何処へ
                     家も国もこれ以上我々を見捨てはしない
                     彼等の邪悪な足跡は
                     彼等自らの血で贖(あがな)われたのだ

                     敗走の恐怖と死の闇の前では
                     どんな慰めも傭兵や奴隷達の救いたりえず
                     勝利の歓喜の中、星条旗は翻る
                     自由の地 勇者の故郷の上に!

                     4.
                     愛する者を戦争の荒廃から
                     絶えず守り続ける国民であれ
                     天に救われた土地が
                     勝利と平和で祝福されんことを願わん
                     国家を創造し守り賜(たも)うた力を讃えよ

                     肝に銘せよ 我々の大義とモットーは
                    「我等の信頼は神の中に有る」ということを
                     勝利の歓喜の中、星条旗は翻る
                     自由の地 勇者の故郷の上に!

   【1812年に始まった米英戦争で、詩人・弁護士の
    フランシス・スコット・キーは1814年(当時35歳)、
    英国艦隊による激しい夜間砲撃を耐え抜いた星条旗を目にる。

    彼はこの体験を元に「マクヘンリー砦の防衛」という詩を書き上げた。
    この彼の詩が、当時人気のあった酒飲み歌

    「天国のアナクレオンへ(To Anacreon in Heaven)」

    のメロディーにあてられ、
    1931年3月3日にアメリカ合衆国の国歌に正式に採用された。】
   __________________________________
  

    3番4番の歌詞は皆同じ平和を願っているのが伝わる。

    今改めて聞くと(見ると)なんかとても複雑。。涙が出てくる。
    若いときの気持ちは一切なく、なんか悲しく響く。

    早く本当の意味の平和が訪れればいいな。。

    あ~又こんな話題。。。。

    次回更新にはCD屋でも行って楽しい音楽の話だべ~

    おやすみ


04.16.23:44

『バンドエイド』

   最近ある人に仕事がらみで呼ばれ、出かけた。

   もう一人会わないといけない人がいるとの事で、ある店に寄ることになった。

   その店のモニターには、あるアフリカ地域のビデオが流れる。
   食べ物や、学校施設に恵まれない、生きていくだけでも精一杯の
   子供達の映像だ。
   あるボランティア団体(この言い方は軽いが)のものらしい。

   その店のオーナーは、会社の社長も日頃勤め、ライブハウスを経営し、
   地域活性化やニューオリンズチャリティー等のイベントには、
   ほとんど主催者なみに気持ちを熱くし、必ずといっていいほど顔を出す。
   『自分の存在で何かを救う事』に熱い心を持ち続ける方である。尊敬する。

   今は地域の活性化に力を入れているらしい。

   その店でそのオーナーを待つ為、仕事の話ともかけ離れ、
   酒の肴に雑談が恥じまる。
   ある男性は自分の夢や希望や意気込みを熱く話す。
   自分もその話題に乗っかり、酒の勢いで話し込む。

   どんなにカッコいい話をしても、所詮、自分の長い人生の上での
   『生き方』や『儲け話』『夢をかなえる』などと、自我やエゴの内容である。

   到底、その店から流れる『アフリカの子供達を救う』映像とは、
   まったくもって
かけ離れているわけだ。
   なんと小さな我々だ。。。と思わざるおえない時間を過ごした。

   その店でその映像をバックに酒をあおるサラリーマンや、OL。
   なんと不思議な光景である。

   でも、我々は小さな小さな力なき人間である。
   今の日本でさえサジを投げ、力合わせ変える事すら、他人のせいにして
   逃げ腰の状態。
   自分の事で精一杯なのである。

   1985年7月13日正午(日本時間午後21時、アメリカ時間午前9時)
   ボブ・ゲルドフ(元ブームタウン・ラッツ)
   が1984年にテレビのBBCニュースで飢餓に苦しむ
   エチオピアの人々を見たことがきっかけで、アメリカやイギリスの
   ロック・ミュージシャンたちによるチャリティー・コンサートが開催された

  本文より~

   しかし、そこには重要な問題点もあります。
   それは、これらアフリカで起きている飢餓の問題は、
   この時だけのことではなかったということ、そしてその原因は、

   西欧諸国によるアフリカからの富の収奪が原因だったということを、
   このライブは明らかにすることを避けていた
ということです。

  この収奪の構造を作り上げたのは、かつて西欧諸国が行った植民地政策であり、
   その構造が経済構造として残っているかぎりアフリカの
   厳しい状況はなくならないのは明らかです。したがって、
   この事実を明らかにすること無しに、
ただのチャリティー募金だけで
   問題が解決することはないのです。

  実際、飢餓の問題は、その後も続き
、1990年代に入ってから
  再び最悪の状態を迎えています。

   しかし、その時はもうロック界はなんのチャリティーも行っていません。
  結局は、現状に対する短期的なお金による対処をしただけだったのでしょうか。
   その意味では、アフリカのミュージシャン自身が中心となって
   チャリティーとして行った企画、その名もずばり
   「Starvation(飢饉)」
   の方が分かりやすい企画だったのかもしれません。

   本当にアフリカを救いたいのなら、
   彼らアフリカのミュージシャンたちを主役にして、
   海外のアーティストたちが脇役にまわる企画があって良かったとは
   思うのですが、
 ・・・。そう考えると、「WOMAD」
の存在は非常に
   重要だったと改めて思います。
                     (本文より~)



   ~自分にゆとりがないと人は助けられないものなのだろうか。。
   そうとなれば、一生無理である。

   必ずしも何かを製造し、それを売るやり方や、大きなイベントや
   チャリティーなどを起こさなくてはいけないのか??


   ~私は『バンドエイド』の実際のビデオ
   (何年か前、深夜の通信販売で1万円で販売されていた)をみて
   何かやりたいのに、出来るはずなのに、何もしない自分に歯がゆい
   思いをした事がある。

   その店の映像を見て同じ気持ちが込み上げてきた。

   すぐに何か、私たちの小さな力でも、何か出来る事はきっと
   あるのである。

   ここ最近、それを探してみる事にしようとの思いがやまないでいる。

 

  本文のコメントより~
   『2003年アメリカとイギリスによるイラクへの
   攻撃が今まさに始まろとしている時、
   アメリカ国内であれだけ反戦運動が高まっているにも関わらず、
   アメリカのミュージシャンたちによる大がかりな
   反戦コンサートが行われないのはなぜでしょう?
   かつてあれだけ平和を求める歌を歌っていたミュージシャンたち、
   そして音楽業界は、歴史上最も愚かな大統領の元で
   すっかり保守化してしまったようです。
 そう考えると、ライブ・エイドも
   所詮他人事に首を突っ込んだだけの余計なお世話に思えてしまいます。
   そうではないと、誰か示してくれ!』


   → http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/live-aid.htm

04.16.23:00

『チャイルド・シップ』

                    チャイルドシップ

   なんかネットの環境があるっていいですね!
   色々音楽を通して人種問題や世界の問題に気になり、

   『チャイルド・シップ』というNPO団体に出会いました。

   岩下シマさんのコメントもあって、私は当たり前のように登録しました。
   ”月々4、5千円の寄付”
   で、地球の裏側の貧困な土地に育つ子供達が救われる”
   
   自分の飲み代より安い!!と思い来月から参加することにしました。

   団体から資料が届きました。
   コンゴ民主共和国のシャンセルちゃんの写真とプロフィール。

   両親も揃っていました。
   私も母子家庭。娘は4歳。。
   私は思わず悩みました。

   両親が揃っている子供より、ユニセフが抱える『エイズに苦しむ子供』へ
   寄付したほうがいいのでは??と。。。

   ネットでコンゴ共和国を検索しました。
   私は寄付を決意しました。

   シャンセルちゃんとこうして出会うのも何かの縁なのでしょう。
   頑張って続けていこうと思いました。

   中には『そんな事するより自分の子供の為に貯金でもせえよ!』
   という方もいましたが、偽善でもなく、綺麗ごとでもなく
   自分の心の向くまま行動にしてみよう。。

   何かしなくては。。の気持ちだけだったのが
   やっと行動に出来る!!そんな思いです。



   あ、初対面の男性ヴォーカルとそのお連れの方と出会い、
   今度チャリティでライブをすることに決まりました。

   そのときそのとき、目的は変わるのですが、きっと今回は私の意見を通し
   『孤児院の子供達へ』で行うと思います。


   ワールドビジョン『チャイルド・シップ』http://www.worldvision.jp/

04.13.00:17

健康


   ここんとこ体調が思わしくない。。
   更年期障害?と言うにはまだ早い。。
   ガタがきてるな。。
   
   健康第一!何をするにも!!
   娘の孫まで育てるパワーも残さねば!!

04.10.09:41

アメージンググレース

   ここ最近はどこの地域せも選挙選挙である。
   ふと思い出した。

   そのまんま東が知事当選初日にメディアの前で叫んだのには驚いた!
  
   『宮崎には不正がありますか!!』
   『あるのなら排除しなければいけません!!』

   この言葉で市民の信頼は一瞬にし、固めただろうが、
   この瞬間に政権の中の数名を敵にまわしたのは確実であるに違いない!

  __過去15年前まで、私も若者で自分の人生にしか興味がなかった頃がある。
  この世の中に少しずつ興味を持ち、政治の中に目が行き、腹立つ事もしばしば。

  でも選挙のある時期には、他人事。投票日には2日酔いで夕方まで寝る始末。。

   投票も行かずに、この世の中に文句を言う、それは矛盾している。
   だから私はいつのまにか、義務より責任と言う意志で行くようになった。

   投票に行かず、全て流れに身を任せ、文句は人一倍言い、
   でも世の中を作っていく責任は一切背負わない。。
   そんな酒飲み友達も私には居る。

   いつの事か、税金が金券となって1家族に20歳以上の人数分
   (成人1人に1万円分)が帰ってきたとき知人が言った。

   『これも私達の力のお陰よ!!』
   いつも選挙になると率先して動いている30代の主婦の言葉。。頭が下がる。
   自分は何にもしてないのに金券もらえる、、少し罪悪感があった。。

   と言う訳で今回もしっかり把握して、投票行くぞ!!!!



  コラムよりいい話!
  ↓


   「アメイジング・グレース」というと、各種イベントでもよく歌われる歌。
   250年ほど前にイギリスでできた。

   作者はジョン・ニュートン。彼は船長兼貿易商。
   扱ったのは「人」だ。アメリカへの「奴隷貿易船」の船長だった。

   彼は、アフリカで拉致した黒人たちを、トイレもない船底に押し込め、
   数万人を運んだ。彼は後年、後悔し「商売」を捨てる。

   痛恨の思いを込めて作ったのが「アメイジング・グレース」だ。
   同名の映画が、世界で公開され好評を博している。

   18世紀、W・ウィルバーフォースという若者が奴隷船の実態を知る。
   議員となり、中傷や弾圧を越え、20年がかりで、
   奴隷貿易廃止法をイギリス議会で成立させるまでを描いた実話だ。

   J・ニュートンも協力者として登場する。
   法律ができて3月25日で、ちょうど200年。
   残念ながら、現在も奴隷は全世界に3千万人以上いるとも言われる。
   英政府も200年記念式典直前に、全廃に向けての行動計画を発表した。

   映画で、盟友がウィルバーフォースについて語る。
   「世間で英雄といえば、戦争で人を殺した人物だ。
   しかし、真の英雄は彼のように静かだ」。
   


     歌詞

   讃美歌「われをもすくいし」
   
我をも救いし くしき恵み
   
迷いし身も今 立ち帰りぬ
   
おそれを信仰に 変え給いし
   
我が主の御恵み げに尊し
   
聖歌「驚くばかりの」
   
驚くばかりの 恵みなりき
   
この身の汚れを 知れる我に
   
恵みはわが身の 恐れを消し
   
任する心を 起こさせたり

   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%82%A
4%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B0%E3%83%AC%E3
%82%A4%E3%82%B9

03.30.16:39

お世話になってます

         


      少し私について話そうかな。
   と、言うより最近時々ふと思う事。

   ほとんどな方々はどうか?
   私の場合は、自分の曲を作成し、ライブを起こして活動していくパターンではなく
   何件かのジャズクラブやジャズライブハウスに週何回かレギュラーで歌わせて頂き
   自分が演奏する曲や歌の数々は、ほとんどその場所でお客様を楽しませる為に
   覚えたものだ。

      お陰で100曲くらいのレパートリーになったのもそのお陰。
   (中には1.2回歌い、ほとんど譜面を興して放置状態のもあるが)

   自分で演奏したくて、
choice したものは訳30曲くらいかな。。

   中にはテープ(その当時はCDプレイヤーが出始めだった?)を作ってくれる方も!

   PCで日本語訳詩集を20曲分プリントアウトしてくれた方。

   リクエストして毎週聞きに聞きに来てくれ、良し悪しを評価し続けてくれた人。

   最近久しぶり(5年くらいぶり)に3曲もリクエスト頂いた!

   『 They Can't Take The Way From Me 』エラのがいいね!

   『 Lover Man 』

   そして5月の例の素敵なBarのパーティの為に、Gitarの方の好きな曲

   『 Moon Light Vermont 』
    これもすぐその日にマスターからCD化してもらって頂いた。

   今回再度感じることは

   そんな感じで、皆様に育てられてきたんだと再認識!

   
   おおけりゃいいっていうもんじゃない!そう思う。
   師匠に言われた言葉

   『君にその歌を歌わせれば、天下一品だ!と言われる曲をいくつ持てるかだ!!』

   その通り!!!!

   時間をかけて、ゆっくりと、そのような私の人生で出遭った曲を
   大切に大切に育てていこうと思います。

   皆さん本当にありがとう。。

   
   PS
     なんか思い出話っぽくて年寄りみたいだけど、私の取っておきの
     この手の話がある。
 
     私が歌い続けるほどに、この出来事は貴重になっていくだろう。
       今日は長いので又次回に改めて。。。






03.28.01:06

JazzLiveを楽しみに

          やっと更新しまする!!

   先週はなんたって、どういう理由があろうものか??
   遊び過ぎた!!
   
   現在唯一子持ちの私は、週末の夜はここぞとばかりに歌を20曲程
   歌い上げ(歌い上げか下げかは知らないが(笑)。。。)
   深夜2:00頃終えた私は、そっから家路を急ぎ、家路のはずが
   その『家』を通り越し、例のBarへと向かうのが習慣になった。

   又そこの優しいマスターは、歌仕事から解放されエンジンのかかった
   元気な私の話を「うん。うん」と朝まで聞いてくれるもんだから
   調子に乗って朝まで心地よく過ごしてる。

   少しセーブして、又修行と名を借りて、今週は友人の歌を聞きに!
   世界の名高きヴォーカリストを聞くのもいいのだが、身近な友人の演奏は
   又格別に新鮮で元気が頂けるもんだ!

   そこで『皆頑張ってるんだな。。』『私も頑張ろう』と落ち込んだ時なんかは
   とても癒しになる!

   とまあ。。今週末はその友人の演奏を聴きにと、もう1件増えた!
   昔から兄弟のようにしたっている、Bassから電話がきて
   是非ライブに来て欲しいとの事!いや、そんな丁寧な口調じゃなかったぞ!!
   まあ。。とにかく同じ日に2件掛け持ちで出かける事になりそう。

   その日までは、又新曲譜をこさえなきゃいけない

         

03.26.12:34

[奇妙な果実_人種差別の現実]

                                             

          前回の《 奇妙な果実 》の歌詞を紹介するよ

   覚悟はいいか~!

   『~南部の木々に奇妙な果実がむごたらしくぶら下がっている
   その葉は血に染まり根元まで血潮はしたたり落ちている
   黒い遺体は南部の微風に揺れそよぎ
   まるでポプラの木から垂れ下がっているようだ

   美しい南部の田園風景に思いもかけず見られる腫れあがあった目や
   苦痛に歪んだ口
   そして甘く新鮮に漂う木蓮の香りも突然肉が焦げる匂いとなる
   群がるカラスにその実をつまれた果実は雨に降り注ぐ

   風になぶられ、太陽に腐り、ついに朽ち果てる果実
   奇妙な果実なむごい果実がここにある~』



   私は5年前にこの詩に出会った
   思わず涙が溢れんばかりに零れ落ちた
   今にもその画が目に飛び込んできて衝撃的だった
   現実にあった話である

   この詩が語る深い重い意味は、ただのビリーの曲の代表作でもなく
   ジャズの曲としてではなく、地球上の今抱えている問題に直視するものでは
   なかろうか?と思う

   
http://www.miyazaki-u.ac.jp/~e02702u/students/Billie.html

03.22.14:10

ローザ・パークス氏

                          

   コラムより~

   人権運動に関する事に詳しい方はよく聞く名前であろう。
   今日はローザさんについてのコラムを発見したので紹介します。

   『ノーと言える勇気』といえば、バスの中でも、何処へ行っても、
   黒人は奴隷扱いされた時期。
   その環境を、変えようと立ち上がった人達が居た。

   当時は、気が遠くなるほど難しい事であっただろう。

   ローザ・パークスさんとマーチン・キング・ルーサー。
   そしてマンデラ氏。


   アメリカの公民権運動というと、ローザ・パークスさんが、
   よく知られている。
   1955年12月
   バスで白人に席を譲らず座り続けたパークスさんの勇気が、
   歴史を変えた。

   パークスさん自身の逮捕が示すように、事態は簡単には進まなかった。
   白人からの暴力的な報復が相次いだ。
   「一番人気のスポーツは黒人へのリンチ」と、
   公然と言われる悲惨な状態となった。

   その時、再び「座り続ける」人々が現れた。
   パークスさんの行動から5年後、ノース・カロライナ大学の
   アフリカ系学生4人が、レストランの白人専用席に。
   出て行けと迫る群衆にもかかわらず、座り続けた。
   次の日には21人。その次の日には65人。
   翌日には、地元の白人学生たちも参加を始めた。

   パークスさんのともした火は、
   時と場所を隔てて受け継がれ、
   燎原の火のごとく燃え広がった。

   一昨年、逝去したパークスさんの追悼コンサートには、
   世界的なロック・グループ、U2が出演。
   「自由と平等を目指す旅はまだまだ続く、さあ旅を続けよう」
   と歌い上げた。

   ■ローザ・パークス氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9

   ■マーチン氏
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/2431/mlk.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/2001.htm

   ■マンデラ氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%A9

03.18.23:08

Barthday

                                                                     

    私の仕事の都合で娘の誕生日を昨晩3月17日に家に子持ち友人を呼んで
    めでたく終えました。
    久々にスーパーでまとめ買い1万円分(笑)(自分でもびっくり)
    手料理を頑張って作り、ろうそくをディスプレイして少しかしこまった
    テーブルセッティングをして、中々いいパーティになった。(よしよし)

    少しは母らしいことしてその日は○印mamaでした

    そうそう去る金曜日は5月のライブの打ち合わせと音あわせで出かけたが
    やはり生音じゃ無理そう!
     ギターの方も私も生音にこだわっていたのですが、その日はなんせ
    その店の5周年。。。。
    色々なお客様が来て、人はきっと大勢になるから、
    とりあえず音を拾うくらいの音響を準備することになった。
    しょうがない。

    その日は何が良かったというと、ギターの稲さんが音あわせに30曲くらいの
    譜面に目を通して慣らし程度に弾いてみてるその目が、少年に帰っていた。
    綺麗な目をしていた。
   『楽しいね!ガキの頃に戻ったみたいだ』と。。
    良かった!

    私もがんば!

   PS
    その日はヴォーカル友人も誘い、当日何曲か歌ってと誘い
    一緒に打ち合わせ!
    プライベートでやな事があったらしく、
    初めて私の前で酒を飲んでいた彼女は朝5時頃にゲロを吐き、
    私はそのゲロを吹いたりバケツをもって背中をさすったり!

    日頃彼女がいう
    『私の前世はどこかの姫だったらしい』

     その元姫のゲロを掃除しながら私は思う。
    『私の前世はこの姫の女中かなんかだったのだろうか』(笑)

                            おやすみ

【写真はこちら】

03.16.01:07

Billie Holiday 《奇妙な果実》

       
                                                         

         1つライブを終え、又1つ終え、歌うたびに『お前さん・・まだまだだな・・』・・
          自分にげんこつ。
   メンバーに昔から恵まれ、人に恵まれ、出会う人に育てられてきたかな。
   時には(好きでよく行く)知人ヴォーカルのライブに行ってはテンションもらい。

   2月のライブを終え、その打ち上げにいったBARで久々に会ったギターリスト。
   今本当にやりたい事は出来てなく、食うためにやる音楽、そういう生活に時折
   ブルーになると言う。

   少しばかり酔ってはいたが、彼は疲れた声で
   「一度他の音は一切いらない!ヴォーカルとギターで一緒やろうよ!」
   別れた元ヴォーカルの奥さんとやりたかった事が途中で途切れて
   しまっているらしい。

   『私でよければ!』私は笑顔。
   さっきまでその日のライブの事を思い出しながら飲んでた私は
   そんな暇はなくなった!

   と、まあなんと話は早いものなのか!
   元々お互いジャズ畑で活動中。そこのBARは個人まりとしたいい味を出してる
         老舗のジャズBAR。

   マスターが
   『じゃ、5月のうちのパーティにということで、決まりね』

   ジャズギター歴はかなり長いお方だし、後は私が頑張るのみ!

   ジョーパスとエラのデュオを久々に聞いてる。

   追伸
   ある大御所ヴォーカルがだいぶ前に言っていた
   『ビリーホリデイの《奇妙な果実》は日本人が歌うべきではないわ』

   ・・・私は心の中で
   『こんな時代があった事実を、歌う事で自分らも再認識し、
          知らせることが出来るのでは・・』
   と、前々から歌おうと思っていたこの曲を、これを機会に歌うと決めた。

   ジャズの曲の中で最も深い意味を持つ歴史を語るこの曲・・
   どっぷり八マってみようと思う。

   《Strange Fruit
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AA%E3%83%87%E3%82%A4

03.15.17:44

A birthday of a daughter

    hana 
     
    

今日は娘の誕生日です
   4年前の今頃(03/15/1720)娘を産んだ体は衰弱してベッドで熟睡してる頃。
   あの生まれる瞬間は感動的だった。今でも覚えてる。
   生まれる何ヶ月も前から名前が決まっていて、お腹の我が子に呼びかけていたからか
   出産直後私の胸の上で私が名前を呼びかけると
   『あ、いつもの声だ!』と言わんばかりに、私を探していた!感動!
   『やっと会えたね!』私が言った。

   私のところへ生まれてきてくれて有難う!
   ママのところで良かったって言われるように頑張ろうっと!

03.15.10:07

Stevie Wonder _SMAP×SMAP

   音楽に対して《 Stevie Wonder 》は語る・・
   [音楽=愛=宇宙]
   続けていると皆忘れていく言葉だ

   知人のミュージシャン・・
   以前まで個人まりとライブ活動していたがとあるプロダクションに入って活動。

   着る衣装やイメージまで決められて、本来の自分のやりたい音楽性を見失う。
   と、言うより意見出来ないと言う。

   噂によると有名な『OレンOレOOジ』もそうらしい。

   実際私も、昔ならそのStevie の言葉に『うんうん』と感動してたのに
   今は何かピンと来ない。・・・心が鈍っている。

   Stevie の大切な音楽の心を忘れないでいたいものだ。

 

 

03.14.00:01

出来事

       夕べ、ある入院生活で一緒だった57歳になる知人から電話があった
   その人は家族から見放され、帰る家もなく、退院後の現在も職を探し
   友人に世話になっていてとても辛い生活を送っているらしい。

   一度は地方の旅館の住み込み女中さんの仕事にありついたが
     力仕事で腰を痛めてしまい,2.3日休むとクビになってしまったらしい..
   世話になっている家でも食事まで与えてもらい、仕事を探しに出かけるにも
     お金が底をつき交通費すら無いと、みじめだと,電話口で泣き崩れている。

   おせっかいな私は、すぐに知人の調理場の仕事はないかと電話したが無理だった。
   そこの店もかなり有名な店なのに、2月に食中毒が出て、
     今現在営業中止をくらってると言う。

   しょうがない、私も携帯電話代や今月の支払いなど全然足りないのだが
     お金を振り込むことにした。

   で、本日たった7千円だけど振り込んだ。

   先週まで結構、週末飲み食いしていた私は少しはっとした。
   現在進行形でこんな人もいるんだな。。。って

   今週から道楽するのも少し控えよう。。

   しかし、ライブにきてくれたとあるBARにも御礼行かなくては行けない

   う~ん。頑張って稼がなくては!
     っていうか!明日は我が子の4歳のBarthDayではないか!!!!

          とにかく今日はこれから譜面を書く。
              おやすみ何処かの誰かさん。

03.11.23:11

my secretroom

                  はじめまして
    っていうかどなたかこれから私のブログを読むこともあるのでしょうか?
    わからないのですが、これからちょこちょこ この場所に私の活動や思いなど
    書いていってみようと思います。

    私は子育てしながらギターを片手に歌を歌って活動している元気な女子です
    今まで活動してきても自分の中だけで過ぎていってしまったことがおおくて
    これからは、ここで一人で反省会なんかも出来るわけだし、少し恥ずかしけど、
    苦手ですがブログを立ち上げてみました!


                            今日はこのくらい  で。。

 

 

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